外国人技能実習生を迎えるということ 〜若者たちの未来を託されて〜
- 森 竜也
- 6月14日
- 読了時間: 3分
「外国人技能実習生」と聞いて、皆さんはどんな姿を思い浮かべるでしょうか。異なる文化、異なる言語、異なる価値観を持った“外国人”というフィルターを通して見てはいないでしょうか?
しかし、彼ら・彼女たちは、私たち日本人の息子・娘や新入社員とそれほど変わらない、未来に希望を抱いたただの“若者”です。たとえば、今年1月から岐阜県内の製造業の現場に就業した2名のベトナム人技能実習生も、まだ20歳前後の青年たち。異国の地に飛び込み、言葉も風習も違う中で一から仕事を学び、日本人と肩を並べて働いています。
そんな彼らは、ただの労働力ではありません。彼らの背後には、家族、友人、そして母国の地域社会があります。日本で技術を学び、成長し、いずれは母国で活かすことを夢見てやってきています。私たち日本人はその「人生の一部」を預かっていることを、もっと真剣に考えなければならないと感じます。
実習生の生活には様々なトラブルもあります。「ガスが出ない」「スマホが壊れた」「自転車がパンクした」といった日常生活の些細な困りごとは、私たち日本人であっても一人暮らしを始めたばかりの頃には大きなトラブルに感じます。彼らの場合は、言葉の壁がそれに拍車をかけ、ちょっとした困りごとが大きな不安に変わることもあります。だからこそ、彼らの“生活”にも寄り添う姿勢が、受け入れ企業には求められています。
私たち監理団体のアドバイザーは、企業側の準備や実習生とのコミュニケーションの橋渡しを行っています。しかし、制度やマニュアルだけではどうにもならないことが多くあります。だからこそ必要なのが、「人として向き合う覚悟」です。言葉がわかりにくくても、表情や態度で伝わるものがあります。そして何より、実習生たちも「分かろう」と努力しています。その姿に応える責任が、私たちにはあります。
残念ながら技能実習制度の裏では痛ましい事件も起きています。安全管理や生活支援が不十分なまま受け入れが進められたり、実習生が“労働力”としてのみ扱われたりするケースも少なくありません。言葉や文化の壁に加え、制度的なサポートの乏しさが重なれば、実習生たちは孤立し、心身に大きな負担を抱えることになります。制度に関わるすべての人が、「命を預かっている」という強い意識を持たねばならないと考えます。
実習生にとって、私たち日本人一人ひとりが“日本そのもの”に映ります。だからこそ、彼らの人生の中で「日本で学べてよかった」と思ってもらえるような環境をつくることが、私たちに求められています。
異国から来た若者たちを、日本人と同じように扱い、仲間として迎え入れる——それが、異なる文化や背景を持つ人々と共に生きる社会のあり方ではないでしょうか。
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